Xmasに一人でSLに乗りに行く
もくじ
きっかけ | 12月23日 | 12月24日 | 12月25日 | 最後に |
以前から、雪の中を走るSLや夜の闇の中を走るSLに乗りたいと思っていた。しかし、雪の時期走っているSLはほとんどない。
しかし、そんな中調べたところ、12月のクリスマスの時期、普段はSLばんえつ物語号として新潟-会津若松間を運行されている C57 180がSL X'masトレインとして運行されていることが分かった。ちょうどそのころには学校も冬休みに入り、旅行ができるためわざわざ行くことにした。
なお、当然のことながら一緒に行く人などいないため、一人で行くことになった。世の中クリスマスともなると巷にはカップルが湧き、なんかいろいろあるようだが、そんなこと私には関係ない。
ちなみに、磐越西線のSLに乗るのはこれが2回目だったりするw(1回目は2009年)
出発
12月23日夜、いつも通りに自転車で竜王駅に行き、そこから出発。ちょうど駅前ではイルミネーションが行われていたのでデジカメのテストを兼ね、撮影してみる。やはりイルミネーションを撮るのは難しい。北海道&東日本パスに改札印を押してもらい、ホームへ。竜王駅から大月行き普通列車に乗り出発。いつも通学で乗るときは間違いなく寝るが、このような旅行の時は不思議と寝ないものだ。
大月行き普通列車は定刻通りに大月駅に到着。ここで東京行に乗り換える。乗換までに時間があったので改札外にも出てみるが特に何もすることもなく、そのまま戻る。特急を先に通した後、乗換先の列車が到着。今度の列車はロングシートのE233系。ロングシートで新宿までの道のりは少々つらいところがあるが、仕方ない。
大月駅を定刻通りに出発。大月出発時は人も少なかったものの、高尾、八王子、立川と進むにつれ人も増えてくる。祝日夜だというのに人が多いものだ。いったいどこにこれだけの人がいるのだろうか。
新宿駅に到着。とりあえずムーンライトえちご号の発車するホームに行ってみるがまだ来ていなかったのでとりあえず外に出てみることにする。
夜行列車の旅
発車時刻まではまだ余裕があるので新宿駅新南口から外に出てみる。いつもの通り新南口に向かうと何かがおかしい。改札の位置が変わっている。再開発の関係らしく新南口の位置が大きく変わっていた。改札を出てぶらついてみる。新宿高島屋の前に何だかよくわからないオブジェがある。ペットボトルのようなものでできているようだ。写真を撮ろうかとも思ったが人(いちゃつくカップル)が多かったのでやめた。
その後、新南口から南口のほうまで駅の外を歩く。さすがにもう遅い時間でもあるため高島屋や東急ハンズなんかはやっていなかったものの、この時間になっても街には人があふれている。やはり都会というものだな。その後、南口改札から再度駅改札内に入り、南口改札内のコンビニでお茶などを買い、再度ムーンライトえちご号の発車ホームへ行くとすでにムーンライトえちご号は入線していた。
ムーンライトえちご号の待つホームはこんな時間なのにまだ通勤客等が多いほかのホームとはまた違った空気であった。乗る前に写真を撮ってから指定された席に座る。話によるとムーンライトえちご号は2010年春のダイヤ改定で旧あずさ色の車両になったはずなのだが、このときの車両はなぜが国鉄色の車両であった。幕も臨時幕であったことから臨時で当てられた車両のようだ。まあ、通常は簡易リクライニングシート(途中まで傾けたままの状態で固定できないらしい)の車両であったはずが、今回は普通のリクライニングシートになっていたため、逆に少し得をしたようだ。発車前には車掌が切符を見に回ってきた。
発車時刻になり、ムーンライトえちご号は発車した。発車時、車内は大体6割ほど埋まっていた。池袋、大宮と停車し、乗客も増えたが、それでも私の隣の席には誰も来なかった。やはり椅子で寝るのは(いくらリクライニングシートであっても)少しつらい。しかししょうがないので少し寝る。高崎に到着するまでに少し寝た。
高崎に到着。ここで臨時急行能登号に越される。結局高崎でも私の横の席には誰も来なかった。高崎発車時点の乗車率は大体7割程度か。高崎発車後、長岡到着まで寝る。車内はかなり乾燥していてのどが渇いた。本来の車両ではどのようなものかはわからないが、これからはアイマスク・耳栓のほかにマスクもあるとよいだろうと思った。
翌朝の長岡到着時、少し目が覚めたがまたそのあと再度寝て、結局新潟到着直前まで寝ていた。
![]() |
臨時快速ムーンライトえちご号 新宿駅にて |
新潟到着
翌朝4:51、定刻通りに新潟駅に到着した。とりあえず列車から降りての感想は、「寒い」だった。まあ新潟にそれも真冬に来れば寒いのは当たり前だが。その後、この後乗る列車まではかなり時間が余るため、朝食をとることもかねて新潟駅万代橋口を出てすぐのところにあったロイヤルホストに入った。
ハラハラの時間つぶし
ロイヤルホストで朝食をとりながら予定を再検討した結果、SLで行って帰ってくるのもいいが、どうせならば喜多方ラーメンを食べようと思い、行きはSLの前の普通列車で喜多方まで行きそこでラーメンを食べたのちSLに乗って会津若松に行くことにした。その後、7時ごろ店を出て、行きの指定券を変更後、まだ余っている時間をつぶすために新津まで行って帰ってくることにし、長岡行の列車に乗った。
長岡行の列車に乗り、新津駅へと向かった。まだ雪は降っていないが今にも雪が降り出しそうな空模様だった。そうこうしているうちに新津駅に2分ほど遅れて到着。新津駅のホームからは、これから乗ることになるSLXmasトレインの車両が準備しているのが見えた。この後、予定では新津駅から快速になるきたぐに号に乗って新潟駅に戻るはずだったが、きたぐに号はおよそ20分ほど遅れているというアナウンスがあった。どうしようかと考えたが、結局間に合うだろうということで遅れて到着したきたぐに号に乗った。
新津駅におよそ28分遅れて到着したきたぐに号に乗車。きたぐに号は新津から新潟まで快速になるので普通車自由席であれば北海道&東日本パスでも乗れる。そういうこともありわざわざ新津まで来てきたぐに号に乗ったが、28分も遅れており正直新潟駅から今度乗る列車に間に合うか不安だった。結局新潟駅にはおよそ30分遅れの8:59頃に到着し、何とか今度乗る磐越西線直通の普通列車には間に合った。しかし、わざわざきたぐに号に乗るためだけに新津まで行った俺もそうとう物好きだよなあ…
無駄に雪に興奮する
何とか間に合い(というかそもそもきたぐに号に乗りにいかなければこうはならなかった)、磐越西線の普通列車に乗った。今にも雪が降り出しそうな天気の中、会津若松行の普通列車は出発した。ディーゼルカーに乗るのはかなり久しぶりだったので、発車時こんなにうなるものかと少しびっくりした。この列車の車内には旅行客が多かった。またこの後を走るSLを撮影するのかカメラを持った人も多かった。沿線にはまだ時間があるのにもかかわらず、この寒い中カメラを持ってSLを待っている人も多くいた。
列車は特に遅れることもなく順調に進み、新津を過ぎ馬下(まおろし)を過ぎたあたりからいよいよ山の中へと入っていった。その先の五十島あたりからはついに雪も降りだした。甲府盆地という滅多に雪の降らない場所に住んでいる身からすると、高雪が降っているのを見るとなぜだか興奮するものである。後日撮影した写真を見てみたら雪が降っている中での車窓風景を撮った半分曇っているようなよくわからない写真が大量にあった(笑)。その後野沢付近からは雪はさらに強くなり、うっすら積もっているのが見えた。また萩野の少し先でこの天候の中、川で舟をこいでいる人がいた。いったいなんだったんだろう?
喜多方観光
列車は定刻通りに喜多方駅に到着した。ここで下車し、昼食とする。とりあえず駅隣接の観光案内所で地図をもらった後、街を歩くことにした。駅から少し歩いたところに喜多方駅前郵便局があったのでそこで風景印を収集したあと、その近くにあった春月食堂という店に入り、チャーシューメンを頼んで食べた。あっさりしていてなかなかおいしかった。
さすがに2杯目に行く気も時間もなかったので、昼食後は町中の蔵を見て歩くことにした。しかし、ぱらぱらと雪が降り、かなり寒い中とてもいくつも見て回るような気力もなく、2か所ほど見た後駅へと戻った。お礼を言いに観光案内所に再度行き、そこで観光案内所の方と話したところ、雪が多い年は暖かいらしい。また今度ゆっくり来て、ラーメンを食べ歩きより多くの蔵を見て回ってみたいものだ。
![]() |
![]() |
喜多方駅 蔵を模したつくりをしているようだ | 喜多方駅前郵便局 こちらも蔵を模している |
![]() |
![]() |
喜多方駅前郵便局の風景印 | 街中にあった蔵 |
会津若松へ
喜多方駅から会津若松行のSLX'masトレインに乗車。喜多方から乗車した人は数名だった。また車内も結構すいており、1人で1ボックス占有できる状況だった。平日だということもあるのだろうが、もう少し乗っていてもいい気がした。結局この翌日のSLX'masトレインは大雪で運休になったし。
喜多方から会津若松までは30分弱と少し短かったが、それでもやはりSLの旅は気動車の旅とも違って雰囲気がありなかなかいいものだと思った。この時はまだ雪は積もっていなかったものの、車窓風景を眺め、SLの独特な音を聞きつつ、定刻通りに会津若松駅に到着した。会津若松駅に到着後、客車から出てみるとやっぱり寒かった。東北地方の冬でこんな天気ならば仕方ないことだが…
![]() |
会津若松駅にて |
転車台見学
会津若松駅で下車後、SLの転車台作業がみられるらしいとの話をどこかで聞いたことを思い出し、それを見に行くことにした。駅出口からみて右手にある踏切を渡り、渡った先を来た方向(磐越西線方面)へと歩いていくと、転車台のところまでたどり着くことができた。私が行ったときにはすでにSLは客車と切り離されており、ちょうど今から転車台の上へと乗るという状況だった。また周りには私を含め十数人?のギャラリーがいた。そうこうしていると、SLが転車台のほうへと向かってきた。そしてゆっくりと転車台に乗った後転車台が回転し始めた。転車台での回転作業の模様は以下の動画を参照してほしい。なお、動画には入っていないがSLの転車台作業の後は只見線の車両がこの転車台を用いて回転し、車庫(扇形庫)へと入っていった。会津若松駅のこの転車台と扇形庫はSLの運行だけではなくその他の車両の運行にも現役で用いられているようだ。実際に見て、迫力に圧倒された。この時は貴重なものを見ることができたと思う。
転車台での作業の見学後、さすがに鶴ヶ城などを見に行くほどの時間もなく、またかなり寒かったので(雪も少し降り出した)会津若松駅併設のお土産物屋などを見て回り、帰りのSLの発車を待った。
風切音が邪魔なのはご容赦ください。また、動画の途中に怒鳴り声が入っていますが、これは確か立ち入り禁止場所に入ったギャラリーを作業員さんが注意した時のものです。せっかく見せていただいているのだから、立ち入り禁止場所に入るようなことはないようにしないとなりません。
![]() |
![]() |
扇形庫の全体像 | 扇形庫内で整備を受けるSL C57 180 |
夜汽車の旅
帰りのSLに乗車。入線から発車まであまり時間がなかったため、会津若松では写真撮影等はほとんどできなかった。このあたりからいよいよ本格的に雪が降り始めて、喜多方付近ではすでにうっすらと積もっていた。また喜多方を過ぎ、次第に列車が山の中へと入っていくと積雪も次第に大きくなっていった。
今回指定された席はかなり編成の前のほうだったため、周りの気温の低さなども相まって窓から見える煙の量はすごかった。帰りの乗車率は大体1ボックスあたり1,2名程度だった。
山都駅を発車後、車内では新津運輸区作成のカレンダーをかけたじゃんけん大会が行われた。まあ、負けましたがw山都駅の次の停車駅である野沢駅では停車時間を利用し外に出てみた。ここでは大体10cmほどの積雪だった。
![]() |
野沢駅にて |
野沢駅を発車後、車内では今度はSLのピンバッジをかけたじゃんけん大会が行われた。結局また負けましたが。野沢駅とその次の日出谷駅との間では、一部の区間で結構なスピードを出していたように感じた。まあ、もともと旅客用のC57ですからこのくらいはいたって普通なのでしょうが。
日出谷駅のホーム上には、SLの到着に合わせイルミネーションが光っていた。停車時間はほとんどなく長時間見ることはできませんでしたが、この飾りつけをしてくださった地元の皆さんありがとうございます。
![]() |
日出谷駅のイルミネーション |
日出谷駅の次の停車駅である津川駅では、停車時間を利用して外に出てみたが、ほぼ真横に流れる(雪のほとんど降らない地域の人から見ると)かなりすごい雪だった。そんな中、この列車の運行のためにSLに給水を行うスタッフの方がいた。感謝。
また、ここでの停車中の車掌さんとの話で聞いたが、この日のムーンライトえちご号は運休になったらしい。もし旅行の日をずらしていたら来ることさえできなかったかもしれないと思うと運がよかったのかもしれない(結局、この翌日予定されていたSL X'masトレインの運行は大雪で新潟行は運休になったらしい)。
![]() |
![]() |
SLへの給水作業を行うスタッフの方@津川駅 ありがとうございます |
津川駅近くの家にあったイルミネーション |
津川駅を出ると、しばらく列車は山の中を川に沿って進んだ。山沿いの、特に周りに人家のないところを走っている列車は、まるで銀河鉄道のようであった。三川、咲花と停車し、五泉駅あたりまで来ると周りはだんだんと平地になり、雪も弱まってきた。
新津駅まで来ると、すでに雪は弱くなっていた。新津駅を発車すると、あと少しで終点新潟駅である。新津駅を発車後には、車掌さんがすべての席にあいさつをしに来た。
ほぼ定刻通りに新潟駅に到着。長かったが、それ以上にいろいろと楽しい旅だった。ぜひ機会があればまた来たい。
![]() |
新潟駅にて ヘッドマークには雪がたくさんついている。 この天候の中運行ありがとうございました。 |
新潟駅に到着後、予約していたビジネスホテルにチェックインし荷物を置いた後、結局新潟駅ビル内の定食屋でたれかつ丼を食べた。その後ホテルに戻りテレビを見ると、明日の天候がかなり荒れると言っていた。そのため、明日の予定を事前に立てた予定より少し早めることにした。
なお、今回泊まったホテルは新潟駅万代口を出て少しのところにあった「ホテルハイマート」と言うところだった。ネットで予約したところ3000円以下で泊まれたので利用したが、このホテルは新潟駅周辺の再開発により2011年6月に営業をやめたらしいです。
鉄道網大荒れの中出発
旅行前の計画では新潟駅を10時過ぎに出る列車で出発し、直江津経由で帰宅する予定だったが、昨晩の大荒れの予報から予定を早め、新潟駅を1時間強早く出ることにした。
8時過ぎにホテルを出て新潟駅に行ってみると、新潟駅周辺はそれほど荒れてはいなかったものの(雪が少し降っている程度)全体的にかなり荒れていて運休などが多発しており、少し騒がしい状況だった。とりあえず、新潟駅の売店でお土産物(柿の種と笹団子)と昼食の駅弁を買い、長岡行の列車に乗車。この先運休等が予想されるが、とにかく行くしかない。
長岡行普通列車は接続をとり新潟駅を少し遅れて発車。発車時には雪は強くなり、新潟駅から離れるにつれてさらに強くなった。旅行での疲れからうとうとしていたら、長岡駅に到着。結局長岡駅には10分ほど遅れて到着した。
自動車代行
長岡駅に到着。とりあえず情報を入手するために改札付近へ行ってみたところ、この先の信越本線が強風により運休になっていた。この先の帰宅ルートとしては、信越本線を使い直江津・長野経由、上越線で越後川口に出て飯山線経由、上越線で六日町に出てほくほく線経由、上越線で高崎に出て東京を回って帰ってくるの4つが考えられたが、直江津まで代行が出そうなこと、飯山線沿線は豪雪地帯だからやばいかもしれないこと(結局大丈夫だったようだが)、東京周りは時間はかかるし面白くないこと、そして海を見たかったことから(←おぃ)直江津まで代行を使っていくことにした。
長岡駅で代行を待っていたところ、10:50ごろにアナウンスがあり、まずは柏崎駅までの代行バスがあり、柏崎より先に行く場合は柏崎で乗換とのことだったので、とりあえずその代行バスに乗車した。代行バスは越後交通のいわゆる観光バスで、長岡駅を出た後は高速を経由して柏崎駅までノンストップで行った。途中では除雪作業車の隊列にも遭遇した。
12時少し前に柏崎駅に到着。長岡駅を出た時よりもさらに雪も風も強くなっている。この先に行く人はとりあえず少し待ってくれとのことから待合室で待ちつつ、ちょうど時間になったので新潟駅で買った弁当を食べることにした。今回買った駅弁は三新軒の鮭の焼漬弁当である。まあある意味ごく普通の弁当だが、素朴でなかなかおいしかった。
食べ始めて少ししたら、代行が手配できたので呼ばれた。食べかけだが仕方ないので急いで準備して応じる。呼ばれて行くと、駅前にとまっていただろうタクシーが3台ほどつけられていて、これに乗ることになった。おいおい北海道&東日本パスなどというおそらくJR側から見れば儲からない客ばっかりなのに(たしか直江津まで行った人は9人ぐらいで、タクシーは3台だった)こんなにしていただいていいのだろうかとも思いつつ、タクシーは発車。弁当の残りは仕方ないのでタクシー内で食べることにした。
![]() |
![]() |
鮭の焼漬弁当 外観 | 鮭の焼漬弁当 中身 |
タクシーの運転手さんは5,60代に見える地元のおっさんで、横風が結構強く吹く海沿いの道をかなり飛ばしていた。運転手さん曰く、「この辺じゃタクシー代行はよくあること」「JRは5年前の事故(羽越本線脱線事故)以来横風にはかなり警戒している」「この辺じゃ1週間ぐらいこの天候が続くこともある」「最近の電車は軽い」「JRは代行の時は高速を使わせてくれない。でも所要時間は高速を使っても使わなくても大差ないけど」とのこと。運転手さんと話しつつ(この時は助手席に乗った)、およそ1時間ほどで直江津駅に到着。
直江津の天候は、もう完全に嵐だった。タクシーの窓には雪が音を立て当たり、雷もなっていた。直江津に到着後、運行状況を確認すると長野行の列車があり一安心。以降はもう運休区間もないようだし。
結局朝新潟駅を早く出た分はこの時点で無くなった。まあ直江津までたどり着け、結果として当初の予定通りに帰れたので全く問題はないが。ただ、本当は列車の窓から日本海を眺めつつ、のんびり駅弁を食べたかったが、またこれは今度の機会に持ち越しだな。
長野を通り、山梨へ
直江津駅から長野行普通列車に乗車。いつも見慣れた長野色115系だった。遅れていた特急を待ったことから少し遅れて嵐の直江津を出発。いつも乗っている車両ということもありなんだか落ち着く。海から離れるにつれて相変わらず雪は降っていたが風は収まってきた。しかし雪のピークは妙高あたりで、それを過ぎると雪は南下するにつれ弱まっていき、結局長野に到着するころには雪も止み、青空も少し見えていた。
長野駅にはほぼ定刻通りに到着。ここでの乗換が最後となる。少し時間があったので改札を出てみた。長野市は甲府よりもずっと大きい街だなあと感じた。頼まれた七味唐辛子を駅改札横の土産物屋で買い、再度改札を通り甲府行の列車に乗る。もう乗換も最後だと思うと少しさみしい気もした。
定刻通りに長野駅を出発。車両は同じく長野色の115系である。いつも同じで飽きないこともないが、やっぱりなぜだか落ち着くものだ。長野駅を出たころにはかすかに残っていた雪も篠ノ井付近まで来るとほぼなくなった。篠ノ井の先の稲荷山駅を過ぎると再び残雪がみられるようになった。そして姨捨駅に近づくとすっと止まっていきなりバックし始めた。そういえば姨捨駅はスイッチバックだったな。よく話に聞く通り、姨捨駅からの景色はきれいだった。姨捨駅を過ぎ、うとうとしていると松本へ到着。松本を過ぎさらに進むと諏訪付近で少し雪がみられた。その後小淵沢駅で山梨県に突入。帰ってきたなと感じる。そして定刻通りに竜王駅に到着し、改札を抜け自転車で帰宅した。
![]() |
姨捨駅からの眺め |
この旅行はわざわざXmasに一人でSLに乗りに行くというある意味むなしい旅行ではあったが、とても楽しいものだった。念願だった雪の中をSL列車に乗るということも達成できたし、夜汽車の雰囲気も味わうことができたし。
旅行してからこの旅行記を完成させるまで結局半年以上もの時間がかかってしまった。編入試験の勉強などがあったのが原因なんだが。こんな昔の記事を今更あげてもどうかと思うが、わざわざこれを完成させて公開しようと思ったのには理由がある。それは2011年3月11日の東日本大震災と2011年7月26日から30日にかけての豪雨災害である。
3月11日の地震では、福島県は津波だけではなくその後の原発事故などで大変多くの被害を受けた。そしてさらに7月の豪雨災害では福島県・新潟県の特に磐越西線沿線を中心に大きな被害を受けた。この旅行記を書いている時点では、磐越西線は豪雨災害の影響で全線復旧していない。この旅行記はある意味この被害を受ける前の福島・新潟の姿でもある。私は、もしかしたらこれを書くことがこれら被災地域の方々に少しはプラスにはなるのかもしれないと思い、この記事を書いた。まあ所詮この記事はマニアがやった変な旅行の記録に過ぎないかもしれないが。
ただ、これだけは言う。福島にも新潟にも見るところはたくさんある。だから、これら地域がこの災害から復活することができるように、私は心から応援している。そして、これらの地域が復活した時はぜひまた、遊びに行きたい。
福島県をはじめとする被災地域の方々のご冥福と一刻も早い復興をお祈りする。
このページの写真および動画は、Canon Powershot SX130ISにて撮影しました。
旅行日 2010年12月23日〜25日
旅行記公開 2011年8月17日
このページに書いてある情報を試す場合、自己責任にて行ってください
Copyright(c) 2007-2011,Ryota Kono(JA1WYX)